博多キャンパス ブログ

博多キャンパス ブログ

  1. 美術館鑑賞の事前学習

    通信制高校 一ツ葉福岡キャンパス重本です。

    一ツ葉高校福岡キャンパスでは、来週金曜日福岡市美術館へ行きます。やはり美術館といえば事前研修でしょうか。今日から私のブログでは、福岡市美術館の学芸員の方から頂いたCD―ROMからいくつか作品をピックアップして、一つ一つ説明しようと思います。
    今日は野村仁清の「色絵吉野山図茶壷」です。

    こちら、皆さんは見たことありますか。一般に「京焼」の名で呼ばれるやきものは、茶の湯の流行と普及を背景に江戸時代の初めごろから東山地域を中心として広がった京窯で焼かれたやきものをさしています。(桃山時代、長次郎のもとで始まった「楽焼」は、ふつう京焼のなかには含まない独立したやきものとして考えられています) 京焼色絵の祖と言われる野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村(現・京都府南丹市美山町旧大野村)の生まれで、名前を清右衛門といい、若い頃は丹波立杭窯や上記の京都粟田口などで陶芸の修業をし、その後瀬戸で轍櫨引きの技術に磨きをかけたのち京都に戻り、正保4年(1647年)に前年再建された仁和寺(注1)の御用窯として、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開きました。
    その後、清右衛門は明暦2年(1656年)仁和寺門跡の性承法親王(後水尾院の第七皇子)から受領号「播磨大掾」と、「仁」及び「藤原姓」を授けられ、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を併せて「仁清」と号すようになりました。また、自分の作品に「仁清」の印を捺すことでブランドを主張しました。
    また、仁清は明暦3年(1657年)4月には出家(注2)しましたが、その後も40年近く焼物を焼き続けました。この茶壷はこの仁清が清は受け取った下絵を見事に壺の表面に再現したばかりでなく、壺という絵画とは異なる3次元のキャンバスが持つ特性を存分に活かした立体的な作品を生みこの茶壷は現在私たちが最も仁清らしいと感じるものです。

    長くなりましたが、私も実際に見てみて素敵な色彩だと印象に残った壷です。
    金曜にまたみなさんで確認してみましょうね!

    通信制高校 一ツ葉福岡キャンパス 重本

新着記事一覧

自分のスタイルで成長できる一ツ葉高校へのお問い合わせはこちらから