HEY JUDO
通信制高校 一ツ葉代々木キャンパス 島田です。
オリンピックが始まって早や10日ちかく経ちました。
日本選手の健闘が目立ち、これまでのメダル獲得数は27個にのぼります。
日本の「お家芸」の柔道は全日程が終了し、男子が金メダルの獲得をはじめて逃すなど、「惨敗」という結果が伝えられています。
たしかに日本選手の試合を見ていて、積極的に攻めていないな、とか、力負けしているな、と感じることもあり、ふがいない気にさせられることもありました。
この結果に対し、日本柔道の篠原監督に対して大きな批判があるようです。
ただ、試合をするのは選手だし、100%監督が悪いわけでは当然ありません。
世界で勝つよりも日本代表になる方が難しいとさえ言われる日本柔道界では、当然金メダルを狙える実力者が出てきているはずです。
「惨敗」には個々の選手のそれぞれの「事情」があったはずなので、このようなメディアの一元的な報道には違和感を覚えます。
とはいえ、思うことがあります。
国際スポーツとして認知されてから数十年が経つ柔道ですが、
前回北京大会からルール改正がされ、改正後のルールで禁じられた技を得意としていた選手は、人為的な理由で競技から排除されてしまってもいます。
今回は、そのようなタイプの日本人選手が多かったといいます。
もちろん、ルールあってのスポーツなので、ルールに従って勝利を目指すべきですし、それを言い訳にすることはできません。
問題は、そのルールが日本の伝統的な「柔道」に照らして正しいのか、という点にあると私は思います。
たとえば、
・ポイントさえ優勢な状況であればよいので、相手への指導を誘うこと、また一本は狙わずに有効を狙うこと
・背中さえつかなければよいので、たとえ完全に投げられても体をさらに反転させてうつ伏せて接地すること
これは近代柔道創始者の嘉納治五郎先生からして、どのように映るのでしょうか、私は大いに問題視するところです。
勝利しても相手を慮って喜んだりしないこと、相手のケガしているところはあえて攻めないこと、このような精神が「道」につながる柔道の精神性でもあると思います。
吉田選手や古賀選手、古くは山下選手などの偉大な先輩を前にして、篠原監督はじめバラエティ番組に登場したり、ポイントを狙わせる柔道の指示、背中さえつかなければよいという指導があるとすれば、それは唾棄すべき日本的「恥」につながるものなのかもしれません。
ある解説者が、これは「柔道」ではなくて、「JUDO」というスポーツだ、と述べたことにこそ、今回の柔道の根本的な問題があるような気がしました。
通信制高校 一ツ葉代々木キャンパス 島田