キャラ
通信制 一ツ葉高校 代々木キャンパスの松嶋です。
さて、後期も始まって二週間が経ちますね。
早いもので、来週にはレポートの第一回目の提出日です。
みなさんも、忙しいと思いますが、先生方も忙しいのです。
そのような愚痴はさておき、今日の授業でひと言。
現在、倫理では「青年期の意義」として、青年期の問題のことを様々扱っています。
そこでは、青年期の発達課題として、「アイデンティティの確立」が重要だと
教科書では述べられています。
これは、エリクソンの研究成果をもとにした記述であって、
これ自体間違いというわけではありませんが、ちょっと時代遅れの考え方ですね。
そのことを簡単に書きたいと思います。
そのまえに、エリクソンが言う(教科書的な)アイデンティティの確立を説明しましょう。
エリクソンは、「社会的アイデンティティ」と「個人的アイデンティティ」の葛藤によって、
「自己アイデンティティ」が確立すると考えます。
ここで言う、「社会的アイデンティティ」とは、社会的に見られている私であって、
「個人的アイデンティティ」とは、自分自身が思っている私です。
この間の葛藤を乗り越えることによって、「自己」が確立するのだと考えるわけです。
しかし、このようなアイデンティティ観に痛烈な批判が出されるようになったのです。
ドゥルーズ、ガタリは次のように述べました。
主体は周縁に存在し、固定した一定の自己同一性(身元)をもたない。
それは、常に中心からずらされ、自分が通過する諸状態から
引き出されてくるものでしかない。(ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』)
つまり、主体性とは、自分が置かれている諸状態から引き出されてくるものなのです。
この状態を、上手くあらわした言葉として、「キャラ」という言葉があります。
キャラクターを演じるとかいいますよね。
教室では、マジメキャラを演じているとか。
問題は、私たちは、その時に置かれている状態によって、
キャラクターを使い分けているということです。
たとえば、友達といるときの私と家族でいるときの私はキャラクターが違いますよね?
友達といるときは、にこやかな私ですが、家に帰ると
反抗的な私になるとかは日常にある風景だと思います。
では、アイデンティティはどこに行ったのでしょうか。
この議論を、わかりやすくしているものとして、
岡本裕一郎『12歳からの現代思想』ちくま新書、2009年
を授業中に配布しました。ぜひ呼んでみてください。
また、読みたいという人がいましたら、ぜひ松嶋までひと言下さい。
みなさん、本を読んで学習してみてください。
通信制 一ツ葉高校 代々木キャンパス 松嶋