大事にしたい心
一ツ葉高校千葉キャンパス長谷川です。
今日は教科書にはのっていない歴史上の人物について紹介します。
杉原千畝 (すぎはら ちうね)
外交官として第二次世界大戦中、リトアニアに赴任。
第二次世界大戦の後期、ヒトラーによるユダヤ人迫害も激しさを増し、
ポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ人達は、
連日、助けをもとめ領事館に多くのユダヤ人が駆け込んできました。
命からがら 逃れてきた群衆たちは、杉原に対して、次のような嘆願をします。
「私達が逃れられる国はもうありません。お願いです。どうぞ助けて下さい。」
それは生き延びる為、日本通過のビザを発給してもらいたいという願いでした。
当時、日本はドイツと手を組んでいたので、日本領事館がユダヤ人にビザを発行すると、
ドイツから敵と見なされます。
四日間が過ぎたある日、杉原は一つの決断をしました。
「頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背いてしまう。」
彼は自分の良心に従う事を決意しました。
違反行為を犯しながら、6千枚に上るビザを、寝る間も惜しんで命がけで発給し続けます。
そして多くのユダヤ人がこのビザで海外に逃れることが出来ました。
しかし、終戦後、国の命に従わなかったということで、
杉原は理由を告げられず職を解任させられます。
長い失意の時を過ごした後、様々な仕事を転々としその後30年間、
彼の名誉は回復されませんでした。
彼も周りに一切自分の話をすることもありませんでした。
ある日、一人のユダヤ人が彼に会いにやってきてこう告げます。
世界中のユダヤ人達が、あなたを探し続けていた、
彼へ感謝の気持ちを一日も忘れたことはなかったということ。
その後、イスラエル政府より日本人で唯一の「諸国民の中の正義の人」として
杉原は勲章を受章しました。
良心を信じ生きることは非常に苦しみもともないます。
そして孤独です。
人としての思いやりや感謝の気持ちを私達も常に忘れずに生きたいものです。
通信制高校 一ツ葉千葉キャンパス 長谷川