「学びて思わざれば」
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
今日は、孔子さんのお話です。
今日の授業では、古典で「論語」を扱いました。
彼は、聖人の一人に数えられていますが、私は少々苦手です。
本来、「儒家」は具体的な礼法(立ち居振る舞い)についても細かく規定していました。
例えば、階段を上るときは左足から上げてから右足を揃えるとか、
宮殿内の石畳は小走りに進むなどです。
そのため、斉の国では(私が最も敬愛している)宰相の晏嬰から
「一挙手一投足まで規則で縛り付けるのは、現代社会の実情にそぐわない」と
(2500年前に)バッサリ切り捨てられました。
しかし、色々な伝説が加除されて、「論語」という結晶に結びついた現在では、
孔子さんの心のエッセンスが凝縮されたような形になり、ゆっくり読んでみると
なかなか趣深いものになっているのだと思います。(孔子&論語好きの皆さんごめんなさい)
そんな「論語」の中でも、大好きな一節があります。
それが、「学びて思わざれば即わちくらし、思いて学ばざれば即わちあやうし」、
「正しい知識を学んでも思い考えることをしなければ、それらは身につかない。
どんなに思い考えても正しい知識を学ばなければ、独りよがりになって危険である。」という一節です。
知識を頭に流し込むだけでは、本当に意味のある「学び」が出来たとはいえません。
かといって、あれこれ「思い」を巡らすだけでは、単なる自己中人間に成り下がってしまうでしょう。
「学ぶ」と「思う(考える)」の違いを考えつつ、意義のある2月を過ごしてみましょう。
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパス 宮本