田植えと近代
通信制 一ツ゚葉高校 千葉キャンパスの夏目です。
先週火曜日に田植えを行いました。10人ほどの生徒が参加してくれて、無事約二畝分の田植えが完了いたしました。先の土曜日に補植(苗が抜け落ちた部分に新しい苗を植える作業)をしましたが、ほとんど抜け落ちていた箇所はなく、参加者の皆さんが丁寧に田植えを行っていたことを証明していました。(列が多少乱れていたのはご愛嬌ですが。
生徒たちも感じていたでしょうが、私や私の仲間たちが管理している田んぼは、美しいものではありません。雑草が目立つし、畦は曲がりくねっているし、苗の列も直線でもないし、苗が等間隔で植えらえているとも言いがたい。前近代的な素人による農業です。
その醜さは、農道の反対側に広がる専業農家による近代的米作りの美しさと比較すると、一目瞭然です。雑草は見当たらないし、畦はコンクリートのように硬く直線的で、苗も等間隔に一部の狂いがなく並んでいます。近代的なプロによる農業です。
とはいえ、米作りの素晴らしさは、素人が素人らしく作業を行ってもそれなりに収穫できるところにあると私は思います。もちろん、プロ農業に比べれば収量は低いし、米の味も落ちます。しかし、人が生きていけるぐらいの量が、人が食べられるぐらいの味で、比較的簡単に収穫できるのです。
私たちは今近代的資本主義の世界に生きています。そこでは、雇用者に労働力を売って金銭を得、得た金銭と引き換えに業者から食糧を手に入れるという、複雑なプロセスを日常的に行われています。その一方で「自分で米を作り、その米を自分で食べる」というプロセスは非常に単純です。雇用者も業者もこのプロセスに介在しません。
米作りという作業を通じて、人は複雑な社会から一時的に逃避できるのです。
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