私の力の源(*^_^*)
通信制 一ツ葉高校 小倉キャンパスです
こんにちは、小倉キャンパスの柳尾です。
本日の小倉キャンパス周辺のお天気は、小雨で少し蒸し蒸していましが、比較的涼しい感じでしたね☆
先日のホームルームで、瀬口先生が5月21日はリンドバーグが大西洋横断飛行に成功した日であることを話されていました。リンドバーグと言えば、ニューヨークからパリまでの西洋単独無着陸飛行に世界で初めて成功した人ですね。
そのお話の時、ふと思い出した事がありました。
北九州出身の偉大なある飛行士の話です。
今日はその事について少し紹介したいと思います。
以前に私のブログを読まれた方は、また飛行機ネタ!? と思われるかも知れませんが(^^;)お許し下さい(笑)。
北九州市のある神社(実は私の家の近く!)に木製のプロペラが飾られています。
実はこれは、今から96年前、日本からヨーロッパへの飛行に初めて成功し、当時日本中を沸かせた『東風号(こちかぜごう)』のもので、北九州出身の飛行士、河内一彦氏がその神社に寄進したものなのです。
河内一彦氏は1901(明治34)年に今の北九州市に生まれました。小さい頃、当時小倉にあった陸軍小倉練兵場から飛び立つ飛行機を眺めながら、飛行機や大空への憧れを強くもち、1920(大正9)年に当時大変難関だった陸軍依託操縦士第一期生に見事合格しました。そして陸軍航空学校に入校して厳しい勉強や訓練に努力し、一等飛行士操縦士に昇格しました。テストパイロットの経験後、大阪朝日新聞社(現朝日新聞社)の航空部に入社しました。
1920年代(大正10年頃)国際親善飛行で各国が行き来する中、日本では未だ親善飛行が行われていなかった為、日本でも是非!! ということになり、欧州大飛行の計画が進められました。
東京を出発し未踏の地シベリアを経て、ローマを最終目的地にするという大飛行計画が持ち上がりました。無線もレーダーもない時代、欧州までの17,000km先のゴールを目指すという計画は、想像を絶する過酷なものだったと想像できます。
使用される飛行機は『東風号』と『初風号(はつかぜごう)』の2機で、各機に2人ずつ、計4人が搭乗する事になりました。
この様な大計画ですから、日本国内では誰が飛行士に指名されるか大変な関心事だった様です。
その4人の中の一人に河内一彦が抜擢され、『東風号』を操縦する事になったのです。
この時の4人は当時『空の四勇士』と呼ばれたそうです!
1925(大正14)年、7月25日、二機が出発する東京の代々木練兵場には、国民的スターを一目見ようと、なんと20万人もの人が集まったそうです。
欧州への飛行の途中、幾度もトラブルに遭遇しましたが、最後まで頑張り抜き、同年10月27日(日本を飛び立って95日目)、遂に、最終目的地ローマに到着しました。
この『欧州大飛行』は世界でも報道され、この『空の四勇士』はフランスではベルサイユ宮殿の晩餐会に招待され、大統領と会見するなど、行く先々で日本の英雄として紹介されたそうです。
欧州大飛行から今年で96年、私は時々自宅近くのこの神社に行ってプロペラを見上げる事があります。先端に残る無数の傷に、その大偉業を成し遂げた彼の空への夢と情熱を感じ、そして自らにも力が湧いてくるのです☆
通信制一ツ葉高校 小倉キャンパス