らすとぎぐす
通信制高校 一ツ葉高校 熊本キャンパスです。
お疲れ様です。佐々木です。
春ですね。また一段と老いを感じる時期ですが、
生徒のみなさん、老いを気にすることがない今のうちに色々なことに挑戦しておいてくださいね。
若い時間は短し。
今年も読書好きの生徒が多いですが、
去年の読書好きな卒業生がお気に入りの森見登美彦さん、「夜は短し歩けよ乙女」。
僕は活字嫌いですが、こういう独自の文体を持った人の作品には惹かれますね。
さてさて、老い、ねー。
この仕事、生徒に関して様々な心配は尽きませんが、
もし20代の頃ならそういった心配もアニキ目線だったのでしょうが、
40代だと完全に父親目線。「きみ腹は減ってないかね?大丈夫であろうか?」みたいな。
ややもすると、そろそろ子供どころか孫を心配する祖父の目線になりそうで
本当、時の流れの速さは怖いですね。
まー、でもねえ。みんなもそうなるんですよ。
20歳前後の時、自分には老いなんて一生関係ないと思ってたけどね。
でも、仕方ない。老いちゃう。老いてみるとそれはそれで面白いんだけどね。
皆さんには今しかない一瞬を、自分をいたわりつつ噛み締めて欲しいですね。
ふと思い出したのですが、大学生の頃、JR稲毛駅前で大酒飲んで泥酔してつぶれてた時に、
見知らぬおじいちゃんから
「体のスペアは無いんだから、自分のことは自分で大切にするんだよ」
と優しく言われました。
なんか、酔いが一瞬で醒めた。
昔の思い出は多すぎて忘れてることばかりなのに、このシーンは物凄く鮮明に覚えてますね。
【来週も僕、いるんだけどね】
自分も超rolling stoneな人生を送っていますが、
新しいことに挑戦するのは、凄く大変だけど、体にいいらしいよ。
生徒のみんなも、将来の進路を考えるのは大切ではあるんだけど、
周りの声に惑わされたり流されすぎないように。
「自分のペース」で、「自分のしたいこと」をすればいいと思います。疲れたら休みながら。
いつか然るべき時に、「よし、やってやろう!」という気持ちさえ持つことができれば大丈夫。
こじんまりと型にはまらない、柔軟で大きな人間になって欲しいですね。
僕の時代と違って、今の世の中では早いうちから大まかな進路を決めなければ
いけないような雰囲気が色濃く見えます。
(もしも日本に元気がない部分があるとすれば、そうやって早めに決められたレールに
無理やり乗せようとする風潮がその原因になっているんじゃないかな?)
僕みたいに、40を越えて遠足の時に農業公園でカートに乗って遊んでいるような人間でも、
やりたいことを貫いて生活できています。
過度な心配や自粛をせず、知らず知らずのうちにブレーキをかけてしまわないように、
自分の気持ちを強く持つことが大事。
ただし人の意見にも耳を傾けながら。
必ずしも聞き入れなくてもいいんですよ。
ただ、「聞くフリだけ」と言うと怒られるけど、「聞いてる姿勢、余裕」があればいい。
そしたらどうにかなる。
若いうちの失敗はやり直しがききます。つまづいた人だけが強くなれる部分もある。
欧米では入社試験のチェック項目として、大きな挫折経験があったかを重視する企業も増えてきているそうで。
日本もそうなっていくんじゃないですかね。
転んだ後に「何に」「どんな姿勢で」取り組んだかが、その後の自分にとって重要。
「大事なのは勉強なんかじゃない」
と言い切ってしまうと立場上語弊はありますが、真実だから仕方ない。
長い人生の中で自分を助けてくれるのは、
知識量なんかじゃなくて、自分の気持ち、メンタリティを鍛えることですよ。そこは本当に重要。
僕も強いわけではないからこそ尚更そう思います。
一ツ葉は友達も先生も本当に優しい。
ただこれから自分の世界が広がるにつれて
必ず、厳しい「こと」や「人」「状況」etc.に向き合うケースが出てきます。
そういう時、他人のせいにしすぎても駄目だし(他人のせいにすると楽だけど、自分の進歩が止まる)、
かといって自分のせいにしすぎても駄目。
対処する手法は人それぞれだけど、そのプロセスに共通するのはバランス感覚ですよね。
自分も出来ていないことだから、
上から目線で言っているわけではありません。
皆さんが十年二十年くらい経って、「ああ、あのデブが昔、確かあんなことを言ってたかな。。。」
くらいに思い出すことがもしあれば、ほんの少し役に立つかもしれない。
最近の世の中で重視されてますね、resilience。
色んな訳語があってピンとこないけど、英英辞書を見ると
「ability to recover readily from illness, depression, adversity, or the like」
って書いてる。それな。て思いますね。
この能力は自分で意識して鍛えていくしかない。
ただ、高校で超苦手だったものが、卒業して急にポンと合格レベルに達するわけでもない。
焦らず少しずつ、っていうところが肝要ですね。
感情や思い込みじゃなくて、冷静かつ客観的に状況を把握しながら。
僕の一ツ葉での生活、楽しかったことも悲しかったことも、
痕跡は本当に沢山あります。
生徒が悩んでいる状態はいつだって看過できないから、
解決の手助けにならないかと一生懸命伝えようとします。
でも同じような言葉でも、ある生徒にはうまく伝わって解決できても、
別の生徒には全く逆の意味にしか伝わらなくて傷つけたりすることもあります。
人間の感性や性格は千差万別とは言っても、高校という組織で教える以上は当然、
どんな状況のどんな生徒の悩みにも力になれなければ、
そしてこちらが意図したことが伝わらなかったり誤解があれば、
教える側としては0点です。部分点なんかない。
同じように、生徒の誰かが喜んでいても誰かが泣いていれば、
幸せは足し算じゃなくて掛け算だと思っているので、
教える側はやはり0点です。
理想論じゃね?という人もいるかもしれませんが、
イデオロギーを扱うならともかく、人を相手にしている仕事である以上、
理想を求めない教育は成立しないと思うのです。
伝え足りないことは無かったかな。。。全部書けたかな。。。
こういう流れで書いていると誤解されそうですが、
別に僕、本日熊本キャンパスを去るわけではないです。
【あと少しだから我慢してね】
ブログに関しては、僕の担当分は
「どうせやらなきゃいけないものなら、堅苦しいものではなく、ちょっとでも楽しんでもらえれば」
というポリシーのもとで書いてきました。
「いや、それを差し引いても『高校』がオフィシャルで書くテンションじゃないだろ」
と我ながら思うことも度々でした。特に保護者の方々、申し訳ありませんでした。
調子に乗りすぎたせいか、後続の先生たちのテンションまで明らかにおかしい。
他キャンパスのブログと比較してもらうとわかるように、明らかに異質です。
でも違ってもいいじゃない。
みんなが同じである必要はないのではないだろうか。
最後に。
生徒のみんなには、本当に心から感謝しています。
落ちている気持ちを生徒に引き上げてもらったことも多々あり、教える側として何と言っていいか。
また、「お前は教師か」と思うくらい、「人間的にできてる」生徒が見受けられました。
いつの間にそんな大人になったんだ、という成長ぶり。
今頭の中に浮かんでいるのはSIG君の話ですよ。中学校での告白の話じゃない方ね。
そしてそういう、色々な新しい価値観を吸収できるようになった生徒達が、
後輩達や同級生の面倒をどんどん見ることができるようになっていった。
「自分と違う」と思っても真摯に色々な物の見方を聞く姿勢、自信というか余裕、成長力。
自分の殻に閉じこもるのは簡単だけど、傷つくのを覚悟して外に出て行った勇気。素晴らしかったです。
今年の僕の指導は、去年とは違いました。
「あの生徒には優しいのに自分には厳しい」、とか、「去年と違って叱ったりすることが多い」、
とか不満に思った生徒も、2年生含めているのではないかなと思っています。
それについては僕が、確固たる意志をもってやったことです。
言わなければいけない時は言いました。
勉強で使う計算は苦手ですが、それとは違う計算を自分なりに入念にした上で懸命にやったことです。
「ささっきーあんなに怒るんだ」と他の先生に驚かれたこともあります。
ただ感情的に怒ったりしたことは一度もありません。
それはみんな同意してもらえると思います。
今年は中田先生はいませんでした。
言われて耳の痛いこと、厳しいことを言う人がいないキャンパスは楽しい、かもしれません。
少なくとも在学中は。
勿論、「楽しいこと」はキャンパスライフでとても大事。優先されるべきことです。
でも、さっきバランスの話をしましたが、
もし「他の高校と違って、一ツ葉では厳しいことは言われず、快適で居心地がいいことばかりだった」として、
そして社会に出ました。どうなりますか。
世の中、厳しいことを言わない人ばかりですか。叱らない人ばかりですか。
色々な卒業生の話を聞いていると、思うことがいろいろありました。
通信制高校というと、卒業率を気にされて選ぶ人ももちろん多いわけですが、
高校の役割は当然ながら、「卒業させればそれでいい」というわけでは当然ないですよね。
卒業後長期的なスパンで見て、進学先、就職先などでやっていけるスキルが身につくよう、
熊本キャンパスの先生方はみんな頑張っています。そこは当初すごく驚きました。
大規模校ではそこまで一人一人、性格や将来のことまで心配してみることはできないですからね。
僕はどちらかというと去年は「楽しくやろうよ」という気持ちが強かったですが、
それで本当に生徒のためになるのか?嫌な役回りや責任から逃げてるだけじゃないのか?と、
今年家族が増えてから強く思いました。
そんな甘い考えの先生には子供をみて欲しくないと感じました。
それで、生徒の顔色を伺うんじゃなくて本気で向き合っていかなければ、
と必死にやってきたつもりです。
良かった時は、褒める。良くなかった時は良くなかったと言う。
そうじゃないと褒めたことさえ上っ面の言葉になるんじゃないかな。
耳障りの良いことばかり伝えても、(世の中そんな状況は無いし)
人は甘えてしまうと思うんですよね。
やっぱりここで縁あって巡り合った以上、
それぞれの生徒が、
入学前につまづいた自分のウィークポイントを少しでも克服していって欲しいし、
成長して、この先にあるハードルをいつか越えられるようになって欲しいと思います。
ただ生徒のタイプは本当に様々なので、先生全員が同じアプローチをとっていたら
成長できない生徒も出てくるでしょう。
叱る役もフォローする役も必要。教える側の役割分担も様々です。
生徒を叱ったり、耳の痛いことを言っても、僕自身には何の得もないです。というより損しかない。
でも強い目的意識をもってやってきたとは思います。
というか実社会から見たら僕の叱責なんてパセリみたいなものですから。
叱られようが、「くそ、佐々木の馬鹿野郎、見返してやる」くらいの気概を持てればいいと思います。
大きな心を持てていない僕が言うのも変ですが、
みんなには、広い心をもった人間になって幸せになって欲しいです。
僕自身が、鍛錬不足の高校生活(高校生活後半、つらいことを克服しきれないまま、
弱点に向き合わないまま卒業してしまった)を送ったせいでその後しばらく苦労したので、
みんなにはそういう思いをして欲しくないと本当に思います。
みんなより長く生きている身として伝えたいことは、
謙虚な姿勢を持つことができた人は(知らない世界なのでよくわからないけど)
その人のストレスコーピングに凄く役立っているように見えるので
「他人のためじゃなく、自分のために」謙虚な姿勢について考えてみるのも
いいんじゃないかなということです。
去年卒業した生徒達も、色々な言葉をくれてありがとう!
ではでは。
春期講習、頑張りマウス!
通信制高校 一ツ葉高校 熊本キャンパス