新しい先生の紹介
一ツ葉高校 横浜キャンパス 柴田です。
第1回目のレポート提出を終え、新しい時間割に慣れてきたり、
10月から入学した生徒は徐々にキャンパスに馴染んできた
頃ではないでしょうか?
私も何となく時間割を覚えてきて、
いちいち時間割を確認しに行かなくてよくなり、
無駄な動きが少なくなってきました!!
さて、新しい先生のおひとりの近藤先生が
ブログを書いてくださいました。
写真を貰うのを忘れてしまったので、とりあえず英語繋がりで、
この間やったScrabbleの写真を載せておきます!!
*********
皆さん、こんにちは。
10月に横浜キャンパスに着任した近藤と申します。
英語と生物を担当しています。
今回は私の師匠の話をしようと思います。
*********
彼の名は、バリー・ハリスという。
1929年に生まれ、ビ・バップの時代を生き抜き、
その時代の伝統や雰囲気を世界中に伝え続けた、
天使のようなジャズピアニストである。
その彼が昨年の12月にコロナ合併症で亡くなった。
92歳の誕生日の直前のことだった。
バリーのことばで今でも忘れられないものがある。
彼は今から20年以上も前、脳梗塞で左半身が少し不自由になった。
ジャズピアニストにとって、左手は生命線である。
一般的にだが、右手はアドリブフレーズを奏で、
左手はまるで杭を打ち込むようにリズムを強力に刻む。
バリーのようなビ・バップ期のピアニストは特にそうだ。
左手のコードは右手のフレーズの礎となる。
この時代のピアニストは、右手のフレーズは
トランスクライブ〈採譜〉できても、
左手のコードを同じ響きで鳴らすのは至難の業だ。
彼はあまり動かなくなったからだの左側に
対して、もどかしさを感じていたに違いない。
歩くスピードは大幅に遅くなり、
左手は変形して、いかにもピアノを弾きづらそうだった。
そんな時に彼のニューヨークの自宅でレッスンを受けた。
左半身が不自由になっても、耳や声はだからかえって健在で、
彼の美意識にそぐわない音を鳴らすと、即座に「No!」と怒られる。
普段は物静かな彼だが、この時ばかりは
ジャズの伝統そのものみたいな人に
そう言われるのだから、当然駄目な音を出しているということだ。
これはひどくおっかなかった。
「No!」と言った手前、
「正しい音」を自分で演奏してくれるのだが、
当然左手は不自由で四苦八苦しながらの演奏だった。
しかし、その音はバリーそのものの音で、
たとえ左手が不自由だからと言って演奏の質が落ちることはなかった。
むしろ、彼の音のエッセンスが詰まった、
ビ・バップの伝統を全身に背負った音楽を奏でた。
その音自体も忘れられないが、
その時に彼が言った言葉は今も忘れられない。
“I kind of like it.”
「これはこれで結構好きだ。」
動かなくなった左手を見つめて彼はそう呟いた。
左手に対し悪態をつくかと思っていたが、
バリーの発した言葉は真逆だった。
私は一瞬耳を疑った。
ずっと後になって、この言葉は彼の生きざまそのものを
表していると分かった。
********
生きていくといろいろと不自由なことがある。
誰でもその人にとっての不自由がある。
それを嘆くのは当然だ。
愚痴の一つも言いたくなるだろう。
けれども、バリーの呟いた言葉は、
「現状を肯定して前に進む」ことを
私に力強く教えてくれた。
まさにジャズそのものだ、と思った。
「今」に自分なりの全力で立ち向かう。
皆さんもそうしていると私は思う。
それから彼の音楽は更に進化し続け、
世界中でワークショップを行い、
死の直前まで現役であり続けた。
死後の方が、彼のことを今更ながら
より深く理解できている気がする。
一年近くたってしまったが、今ならやっと師匠に言える。
Thanks a lot, and rest in peace, Barry.
通信制 一ツ葉高校 横浜キャンパス