原始と進化
通信制高校 一ツ葉高校 代々木キャンパスの島田です。
世の中はスポーツがさかんです。
多くの小さい子はサッカー選手やプロ野球選手になりたがって、
夕方や土日の多くの時間を野球クラブやフットサルをしたりして過ごします。
スポーツのよさは、全身を使ってイメージどおりの結果が出たときの爽快感や、
心地よい疲労感、一緒にスポーツをする人との共有感などにあるのでしょう。
それで、大人になってもスポーツの機会は心と体のリセットのためにとても貴重です。
で、ここからが人間の奇妙な、おもしろいところで、
それは、スポーツを仕事にしている人がいることです。
たとえば、白いボールに木の棒を振りまわしてぶつける作業に熟練したり、大きな四角い枠に取り付けられた網に向かって複数人で手をつかわずに白い球を転がして放り込む技術を磨いたりしていることで、生活をしている人がいます。
行為そのものをとらえれば意味のある行為ではないかもしれません。が、それを見てよろこび、熱狂する人もいます。その人は他人の運動をお金を払って見に行ったり、ひいきの人やチームを応援したりもします。
スポーツをする人も、それを見る人も含めて、なんとも奇妙な気がしてきます。
意味のある行為、社会の生産活動とは無関係なスポーツに人は特別に感動し、自分でもやってみようとします。よく考えると、スポーツは原始的な行為(狩猟や採集)によく似た動きをしていることが多いです。
そうなると人間はまだまだ複雑な生産行為(特に知的行為)に向いていないかもしれないのかもしれません。あるいは人間は進化の途上で、まだまだ生産行為に対して未発達なのかもしれません。そうなると、原始的行為への回帰は人間にとって退化を意味するのか、それとも逃れえない習癖なのか…。
で、さらに踏み込むと…、ややこしいのは「自分ではスポーツをしないスポーツ解説者」です。
これは原始的な行為をしない人が、知的行為によって原始的行為を語る、というワケで…、
こういうよくワカランことを考える私そのものは、すくなくとも知的行為をしていそうなので、ま、いいか。
通信制高校 一ツ葉高校 代々木キャンパス 島田